其の1
大した創ではないが、お浜が引き続いて介抱している間に竜之介はまた出かけてしまいます。青白い顔をして帰って来た竜之介に、お浜は心寂しさと郁太郎の将来を考えて、夫をなじります。 「あなた、この子は誰の子でござんしょう」 その声は泣き声でありましたから、竜之介はその切れの長い目でジロリと、 「誰が子とは?」 「坊やは誰の子でしょう」 「何をいまさら」 「郁太郎はお前様の子ではありませぬ」 「何を言うのだ」 「この子は死んでしまいますのに」 「なに?」竜之介は、お浜の例の我儘な突っかかりが始まったと思うたが、今日はそんな脅し文句に対して思いのほか冷淡で、 「寿命なら死ぬも仕方がない」 「まあ・・」お浜は凄い目をして竜之介を睨みました。竜之介もまた沈み切った目つきでお浜を睨み返します。いつもならばここで癇癪が破裂して、生きる死ぬのと猛り立つべき場合であったのに、今日は不思議にも二の句をついで何とも言い張りません。 お浜はこのあと、次の室に入ってなにか書き物をしている竜之介に 「離縁してください」 「離縁、それも面白かろう」 「ええ、面白うござんす。ずいぶんとあなたとは永く面白い芝居を見ましたから」 「ここらで幕を下ろそうというのかな」 「離縁状を書いてください」 「誰に断った縁でもない。いまさら三行半にも及ぶまいが」 「そんなら今から出て行きます」 「それもよかろう」竜之介はいよいよ冷淡な景色で、 「しかしここを出てどこへ行く」 「どこへ行きましょうとお指図は受けませぬ」 「別に指図しようとは言わぬ、ただ郁太郎の面倒は頼みますぞ」 「郁太郎はわたしの子ですもの」
お浜はついと立って出て行きます。 箪笥の中から、宇津木の家に嫁ぐときに甲州の姉から贈ってもらった矢飛白の袷を見つけると、一旦は故郷に帰ろうと考えたお浜は、しかしどの面下げて帰れるものかと、そこで見つけた懐剣を見つめているうちに 「行き恥をさらすよりは死のう」 そこへ 「浜、まだいるか」とやってきた竜之介、 「旅立ちの支度か、浜、お前はどこへ行くつもりだ」 「存じません」 「まあよいわ、先刻お前から離縁の申し出があって見れば赤の他人・・いや、まだ餞別に申し渡すことがあったのだ、よく聞いておけ」 竜之介は立ったなり、 「おれは近いうちに宇津木兵馬を殺すぞよ」 「兵馬を殺す?」お浜は膝を向け直す。 「うむ、兵馬を斬るか、兵馬に斬られるか・・、まさか兵馬が小腕に斬られようとも思わぬ、毒を食らわば皿まで、宇津木兄弟を同じ刃に・・」 竜之介の蒼白い面に凄い微笑が迸る。 お浜は真正面からその面を見上げて、このときは怖ろしいとはちっとも思いませんでした。 「お殺しなさい―」
お浜はこのあと歯をキリキリと鳴らして寝ている竜之介の室で、兵馬からの果たし状を見つけ、合点をしたのです。 まだ少年であった兵馬が立派な青年になっている。 文之丞様を殺したのはまだ許せる、義弟の兵馬まで殺すのは許さない。 お浜は懐剣で竜之介の咽喉を突こうとして、「やっ、誰だ」目を覚ました竜之介に蹴倒され、行燈が倒れて障子に火の手が移ります。 闇とはいえ、もう夜明けに間もない。増上寺三門の松林の前まで追いかけて 「待て、浜、おのれは兵馬に裏切りしたな」 「早く殺して下さいー」 殺したところで功名にも手柄にもならぬ。のほりつめた時にも冷静になり得る竜之介、お浜の取り乱した姿を睨んでいる。 「竜之介様、わたしを殺して、どうぞお前も殺されて下さい」 「わたしもお前様におとなしく殺されてあげますから、お前様もどうぞ素直に兵馬の手にかかって殺されて下さい。そうすれば、あれも帳消し・・罪ほろぼしとやらになりましょうから。ねえ、竜之介様」 御成門外で人の足音、増上寺の鐘。 「人殺しー」 竜之介はついにお浜を殺してしまいました。 其の2
次回は「壬生・島原」です。御期待下さい。 |