鈴鹿・関宿

関宿街道
東海道53次のうち47番目 関宿
江戸へ百六里二丁 京へ一九里半


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其の1


「浜、雪は積もったか」
炬燵に仮寝していた机竜之介は、ふと眼をあいてだるそうな声。
「はい、さっきから少しもやまず、ごらんなされ、五寸も積もりました」
「うむ、・・この分ではなかなかやみそうもない、今日一日降りつづくであろう」
「降っているうちは見事でありますが、降ったあとの道が困りますなあ」
「あとが悪いー」
竜之介は横になったまま、郁太郎に乳をのませている差向いの炬燵越しにお浜を見て、
「あとの悪いものは雪ばかりではない―浮世のことはみなそれじゃ」
今日は竜之介の言うことが、いつもと変わってしおらしく聞こえます。
「ホホ、里心がつきましたか」お浜は軽く笑います。

一寸先は闇 鈴鹿峠標識 鈴鹿峠山道
鈴鹿峠

竜之介とお浜はやがてやって来る修羅の前にしんみりと心を通わせています。表道で爽やかな尺八の音がし、ふたりは静かに聞いていると、家の窓下に来て冴え冴えとした音色をほしいままにします。
「よい音色じゃ。合力をしてやれ」
お浜が台所に行っている間、竜之介は寝転んで尺八の音を聞いています。
  しおの山  さしでの磯に  すむ千鳥  君が御代をば  八千代とぞ鳴く
余韻を残して尺八が行ってしまったあとで竜之介は再びこの歌をうたってみました。
  しおの山 さしでの磯に すむ千鳥・・
そこへ銚子を持ってきたお浜が、
  君が御代をば八千代とぞ鳴く
と立ちながら莞爾と笑いましたので、竜之介は、
「よく知っている―」
「故郷のことですものを」
「故郷とは」
「しおの山とは塩山のこと、さしでの磯はわたしの故郷八幡村から日下部へかかる笛吹川の岸にありまする」
「ああ、左様であったか・・」
「親父も尺八が好きであったがな」
「あの弾正様が」
「そうじゃ、親父は頑固な人間に似合わず風流であった、詩も作れば歌も詠む」
「この寒さはさだめて御病気に障りましょう」
「うむ―、浜―」
「はい」
「二人で一度、故郷へ帰ってみようか」
「あの、お前様が沢井まで・・」
「うむ、最初は甲州筋からそなたの故郷八幡村へ、あれより大菩薩を越えてみようか」
「それは嬉しいことでござんすが・・」
そこへ外から呼びかけた声があります。新懲組の隊長芹沢鴨です。

一尺八寸の鳴り物。尺八 これ一本で世渡りする、深編笠の目から覗く世の中とはどんなものだったでありましょうか。
門付けに立ち、お布施をもらう、笛吹けど応えず、ぴしゃりと板戸を閉められて追い払われることもあったであろう。

竜之介は「よい音色じゃ。合力をしてやれ」とこのとき感じ入るのです。
お浜も「ここに居て笛を聞くのは風流でござんすが、この寒空に外を流して歩くお人は、さぞつらいことでしょう」
「とかく風流は寒いものじゃ」
そっけないけれどもふたりの気持ちは強く通っています。
それがあっという間に崩壊してしまうのです。
画像元

芹沢鴨は先日の島田虎之助襲撃のことを話しています。江戸に出てより、机竜之介は吉田竜太郎と名乗っています。
「時に吉田氏、昨夜のざまは、ありゃ何事じゃ」
「なんとも面目がない」
「土方めも青菜に塩の有り様で立ち帰り、近藤に話すと、近藤め、火のように怒り、今朝未明に島田の道場に押しかけたが、やがて這う這うの体で逃げ帰りおった」
「聞きしにまさる島田の手腕」
そんな話をしていて急に声を潜め、
「吉田氏、貴殿は宇津木兵馬という者をご存じか」
「ナニ、宇津木」
竜之介の言葉も気色ばむ。
「いかにも。その宇津木兵馬という者が、貴殿を仇と狙いおるげな」
宇津木兵馬という名を聞いて、お浜は心騒ぎます。
このごろ竜之介は、芹沢、土方、近藤たち、浪人者との付き合いが始まっているようで、深酒をして帰りも遅くなったりしている。つい先刻の、故郷に帰ってみようかとの穏やかな気持ちも無くなりはすまいか、不安いっぱいです。

多摩川景色 武州沢井の山景色です。
ここで女どもは花を摘み、柴を刈り、実を得、男どもは道場で身体の鍛錬に余念なく、そして恋の歌垣、盆の火送りもしたのです。

懐かしがっても、詮無いことでしょうが・・

画像元

芹沢鴨と言われる写真。どことなく傲岸不遜な面構えで写っているように見えます。これぐらい睨みがきかないと新懲組隊長は務まらなかったのでしょう。

一方、お松は奉公先の神尾主膳の屋敷を与八と一緒に逃げ出して夜道に迷い、着物屋を畳んで屋台を出していた因業な伯母のお滝とばったり出遭って誘われるままに佐久間町の裏長屋について行き、次々と金目のものをむしり取られて、ついには七兵衛が沢井の机道場から盗み出して守り刀として手渡していた藤四郎の短刀を与八に武具刀剣商に売ってもらい、そのお金で道庵先生に支払いに出かけている留守に、お滝の奸計で引き離されてしまいます。
「俺にだまって引っ越すなんて」ほろほろと涙をこぼしている与八。
「そこへ行くのは与八どのではないか」
「ああ、兵馬さん」
土方歳三を訪ねて帰る途中の宇津木兵馬でした。

このころ竜之介は夜になると魘されるようになって、歯を噛み鳴らして眠っています。
お浜に災厄が迫ります。仏壇がガタガタ揺れたかと思うと一匹の大鼠が飛び出してきて、郁太郎に乳を飲ませていたお浜の胸に入り込み、払うと郁太郎の顔に飛び移ってしまったのです。
火のついたように泣き叫ぶ郁太郎、お浜の乳房の上に赤い血の跡が残っています。郁太郎の喉元から血が垂れているのです。
「あなた、あなた」お浜はわれを失っていきます。
医者に連れて行くのは明朝でよいというのに、手遅れになると大変だからと真夜中に医者に連れて行こうとするお浜に、さすがに竜之介も見かねて医者を呼びに出かけます。
なかなか帰って来ない竜之介、お浜は鼠の出て来た仏壇を歯噛みして睨み、落ち着いてきた郁太郎を布団の上に置こうとするとヒーと泣かれてしまいます。もう声も涸れきっているのに涙ばかりをホロホロと落してじっと母親の面を見据えて五体をわなわなふるわせているのです。
「まあ、どうしてお前はそんな怖い顔をして母さんをみつめるの」お浜は力も折れて泣きました。「ああ、罰だ、罰だ、これがほんとの天罰というのに違いない」お浜がいまさら天罰を叫ぶのは遅かった。しかし、遅かれ早かれ、一度は天罰を悟 ってみるのも順序であります。
お浜は文之丞が咽喉を突かれて絶命したことをどうしても考えてしまいます。
「坊や、みんな母さんが悪かったのだよ」
医者も竜之介もまだ来る様子はないのに、お浜はしかと郁太郎を抱えたなり、その窓際に立ち尽くしているのでした。



画像元
こんなのが仏壇から飛び出てきたら、誰も慌てます。竜之介夫婦は仏壇を持ちませんから、前の住人が残し置いていったのものでしょう。
お浜の胸の中に、そして郁太郎の顔に乗って来たのです。怖ろしい因果を感じたのも無理からぬことです。

大した創ではないが、お浜が引き続いて介抱している間に竜之介はまた出かけてしまいます。青白い顔をして帰って来た竜之介に、お浜は心寂しさと郁太郎の将来を考えて、夫をなじります。
「あなた、この子は誰の子でござんしょう」
その声は泣き声でありましたから、竜之介はその切れの長い目でジロリと、
「誰が子とは?」
「坊やは誰の子でしょう」
「何をいまさら」
「郁太郎はお前様の子ではありませぬ」
「何を言うのだ」
「この子は死んでしまいますのに」
「なに?」竜之介は、お浜の例の我儘な突っかかりが始まったと思うたが、今日はそんな脅し文句に対して思いのほか冷淡で、
「寿命なら死ぬも仕方がない」
「まあ・・」お浜は凄い目をして竜之介を睨みました。竜之介もまた沈み切った目つきでお浜を睨み返します。いつもならばここで癇癪が破裂して、生きる死ぬのと猛り立つべき場合であったのに、今日は不思議にも二の句をついで何とも言い張りません。

お浜はこのあと、次の室に入ってなにか書き物をしている竜之介に
「離縁してください」
「離縁、それも面白かろう」
「ええ、面白うござんす。ずいぶんとあなたとは永く面白い芝居を見ましたから」
「ここらで幕を下ろそうというのかな」
「離縁状を書いてください」
「誰に断った縁でもない。いまさら三行半にも及ぶまいが」
「そんなら今から出て行きます」
「それもよかろう」竜之介はいよいよ冷淡な景色で、
「しかしここを出てどこへ行く」
「どこへ行きましょうとお指図は受けませぬ」
「別に指図しようとは言わぬ、ただ郁太郎の面倒は頼みますぞ」
「郁太郎はわたしの子ですもの」

江戸地図・増上寺
江戸地図。
2ページを切り取って合わせたつもりですがうまく左右がつながっていません。
右上にふたりの住んでいる芝新銭座の江川太郎左衛門邸の長屋、そこから左下南に5町ほど下ると芝増上寺の三門があります。
芝新銭座地図
ふたりの住んでいた芝新銭座の江川太郎左衛門邸の長屋跡。福沢諭吉が学塾を開いた所でもあります。


芝新銭座跡

お浜はついと立って出て行きます。
箪笥の中から、宇津木の家に嫁ぐときに甲州の姉から贈ってもらった矢飛白の袷を見つけると、一旦は故郷に帰ろうと考えたお浜は、しかしどの面下げて帰れるものかと、そこで見つけた懐剣を見つめているうちに
「行き恥をさらすよりは死のう」
そこへ 「浜、まだいるか」とやってきた竜之介、
「旅立ちの支度か、浜、お前はどこへ行くつもりだ」
「存じません」
「まあよいわ、先刻お前から離縁の申し出があって見れば赤の他人・・いや、まだ餞別に申し渡すことがあったのだ、よく聞いておけ」
竜之介は立ったなり、
「おれは近いうちに宇津木兵馬を殺すぞよ」
「兵馬を殺す?」お浜は膝を向け直す。
「うむ、兵馬を斬るか、兵馬に斬られるか・・、まさか兵馬が小腕に斬られようとも思わぬ、毒を食らわば皿まで、宇津木兄弟を同じ刃に・・」
竜之介の蒼白い面に凄い微笑が迸る。
お浜は真正面からその面を見上げて、このときは怖ろしいとはちっとも思いませんでした。
「お殺しなさい―」

増上寺三門(三解脱門)。
三毒煩悩(むさぼり、いかり、おろかさ)から解脱する、意味だそうです。

増上寺三門
境内の梵鐘です。
逃げたお浜を追って、夜明けの鐘の音を聞いたときに、竜之介の刃はついに・・。


増上寺梵鐘
    
増上寺松原


増上寺周辺の松原は、焼失、枯死して現在はほとんど楠の木になってしまっています。どの松の木にもたれて死んでいたのか、など考えるのは、この日が霧雨であったのを晴天であったと話すようなものです。

お浜はこのあと歯をキリキリと鳴らして寝ている竜之介の室で、兵馬からの果たし状を見つけ、合点をしたのです。
まだ少年であった兵馬が立派な青年になっている。
文之丞様を殺したのはまだ許せる、義弟の兵馬まで殺すのは許さない。
お浜は懐剣で竜之介の咽喉を突こうとして、「やっ、誰だ」目を覚ました竜之介に蹴倒され、行燈が倒れて障子に火の手が移ります。
闇とはいえ、もう夜明けに間もない。増上寺三門の松林の前まで追いかけて

「待て、浜、おのれは兵馬に裏切りしたな」
「早く殺して下さいー」
殺したところで功名にも手柄にもならぬ。のほりつめた時にも冷静になり得る竜之介、お浜の取り乱した姿を睨んでいる。
「竜之介様、わたしを殺して、どうぞお前も殺されて下さい」
「わたしもお前様におとなしく殺されてあげますから、お前様もどうぞ素直に兵馬の手にかかって殺されて下さい。そうすれば、あれも帳消し・・罪ほろぼしとやらになりましょうから。ねえ、竜之介様」
御成門外で人の足音、増上寺の鐘。
「人殺しー」

竜之介はついにお浜を殺してしまいました。


其の2

机竜之介は果し合いの場へ出て来ませんでした。
果たし状をつけられながら逃げるというのはこの上もなき恥辱。ことに人を殺せば血を見るはずの竜之介がこの場合に、逃げ去るとは合点のゆかぬことです。しかしながら約定の時刻にも赤羽橋へ来るということもなく、新銭座の家へ行って見れば家の中はさんざんであるのに、子供が一人、声を涸らして泣いているばかり。
ここに唯一の手がかりというのは、机竜之介が芹沢鴨に宛てた書面一通を発見したことで、その中に、
「兵馬を斬って後、拙者は予ての手筈の通り京都へ立ち退き申すべく・・」

七兵衛はお松が京島原に売られたことを知り、与八は残された郁太郎を背負って青梅街道をトボトボ歩いて沢井に向かいます。与八はお松を連れてこの街道を帰るつもりが一夜に変わってしまったのです
「俺の大先生に拾われたところはここだ」与八はその昔、自分が拾われたというところへ来て一休み

与八はこの先、「大菩薩峠」の菩薩の代顕を与えられたような生き方をしていきます。沢井に帰って郁太郎の世話をしながら、海蔵寺の方丈様と竜之介の父弾正の三年忌の話から若先生はどうしているかと話しながら、石の地蔵ができあがったのでそれを大菩薩の天辺へ背負っていくことになります。与八は竜之介の代わりに、善行を積んで行くのです。

「方丈様」
「何だ」
「あの地蔵様の歌のつづきを教えてもらいてえ」
「和讃か」
西院河原地蔵和讃、空也上人御作とはじめて―

さて、竜之介、兵馬、七兵衛、お松、みんな京都へ向かっています。待ち構えるは東海道鈴鹿峠、手前の関宿、坂下宿です。

JR関駅前の案内版です。

関宿
今に残る関宿1、8kmの宿場街道、東の追分の鳥居が出迎えてくれます。そこから眺めた街道景色です。平日のせいか、観光客もまばらで車もほとんど通っていませんでした。

関宿鳥居

町屋200軒あまりが
並び建っています。 
                 関宿街道

伊勢の国鈴鹿峠の坂の下からこっちへ二里半、有名な関の地蔵が六大無碍の錫杖を振りかざし・・、

「老爺」
「汲みたての水を一杯所望」
「はいはい、汲みたての水、よろしゅうございます。うちの井戸は自慢ものの上水でございます」
老爺が水を汲みに裏へ廻るとき、件の武士は縁台に腰を下ろしていたが、頭にいただいた竹皮笠は取らず、細く銅金を入れた太刀を取って脇に置き、伏目になった面を傘の下からのぞくと、沈みきった色。
机竜之介はともかくも、京都をめざしてここまで落ちてきたものです。
「草鞋を一足くれぬか」
「はいはい」
「それはそうとお武家様、今から草鞋を穿き換えていずれへござらっしゃる」
老爺が不審を打ったのは、この宿で泊まるにしても、坂下まで行くにしても、まだ持ちそうな草鞋を捨てるのは早い。
竜之介はその不審に答えなかったから、老爺は手持ぶたさで、
「降らねばいいに」
軒端から天を仰いで独り言。
なるほど、今日は朝から陰気臭い日和であった。関の小万の魂魄が、いまだにこの土にとどまって気圧を左右するのかしらん・・。


関の地蔵院 「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」という俗謡で有名です。

関宿地蔵院
関宿小万の墓 小万の墓碑
小万は孝女の仇討で知られます。
                    関宿福蔵寺 福蔵寺


竜之介が腰を下ろした茶店はこのような立派な旅籠玉屋ではなかったが、そこの中庭に井戸があったので

関宿玉屋
玉屋井戸 中庭の井戸

              玉屋の客間。玉屋客間
奥の間から写真を撮っています。番台に座ってお客を待ってくれている人影は誰かしらん?

草履を穿き終わった竜之介は、笠越しに空を見上げているところへ、

「さあ、御新造、ここが抜け道の茶屋で」
威勢よく店先に着いた1挺の駕籠、垂を上げると一人の女。
「お浜!」
竜之介は僅かにその名前を歯の外には洩らさなかったけれども、この女が浜でなければ不思議である。それとも竜之介の眼には、すべての女の面がお浜のそれに見えるのかも知れません。
「駕籠屋さん、どうもご苦労さま」
竜之介は眼をつぶってその姿を見まいとした、耳を押さえてその声を聞くまいとした。あれもこれも生き写し。

画像元 お豊です。お豊は駆け落ちの男と待ち合わせてここまでやって来たものの、急いでいたものだからお金をどこかに置き忘れたものか紙入れが見つかりません。駕籠かきは黒坂と言う名うての悪でしたから茶屋の老爺は気をもんでいると、「そいつは大変だ、紛失物をそのままにしておいたんじゃ、この黒坂の面が立たねえ、悪くすると雲助仲間の名折れになる」と「それじゃあ、もういちばん駕籠に乗っておもらえ申して、お前様に頼まれたところからここへ来るまでの道をもう一ぺんようく見きわめた上、宿役へお届け申すとしよう」
「まあ、どうしましょう」
連れが来るまでも待てないという駕籠かきに、頭髪の中から抜き取った銀の平内の簪、
「これを取っておいてください」
「そんな物は要らねえ」
見かねて茶店の老爺が「女衆にあんまり言いがかりをつけねえことだ」
「爺さん、言いがかりというのはどっちのことだ」
「あれ、堪忍して下さい」
こうなると机竜之介、たとえ血も涙も涸れきった上のこととは言え、なんとか言葉をかけねばならぬ場合に立ち至ったのです。
「駕丁ー駕丁」
「何ぞ御用ですか」
「駕籠賃は拙者が立換えるによってこれへ出ろ」
「へえ」
「いくらになる」
「へえ、亀山から1里半の丁場でござい」
竜之介は小銭百文をぱらりと縁台の茣蓙の上へ投げ出して、その取るに任せると、
「御新造、酒手の方をいくらか・・旦那に話してみていただきてえもんでございます」
「そんな無理なことを言うものではありませぬ」
女はわーっと泣きだすと、竜之介はすくっと立って物も言わずに黒坂の横面をビシリ。

つれの男が遅れてやって来、ふたりは深々と礼を言って、立ち去って行った。
「おお、要らざることに暇取った、老爺、茶代を置く」

関宿にはかっての宿場本陣跡がいくつもあります。不思議なほど、人も車も通らないので、江戸時代にタイムスリップした気分で、通りのまん中を歩いて行くと、「お客さん、ちょっと休んで行きなよ」と両側から声がかかってきそうでした。


関宿伊藤本陣 伊藤本陣跡
関宿川北本陣 川北本陣跡

    西の追分方面から撮った街道筋です関宿街道

関宿から坂下宿に行くには、今はコミュニティ循環バスがあります。ただし、一日数便しかありません。関駅前12時24分に出発した後、20分少々走って終点の伊勢坂下バス停に着いた後、数分の時間待ちして帰りの便が出発してからはもう交通手段はありません。無謀なことをしたものです。運転手さんの「徒歩2時間ほどもみておれば」を信じて、10キロほどの旧東海道を歩いて帰って来るしかなかったのです。
バスには途中で下りた住民2名と、最後まで乗っていた50代の男1名、が乗車していました。この男の挙動は少し微妙でした。関駅前のバス停におそらく前の便が出た後ずっと離れずにいて、終点伊勢坂下に着くやバスの写真を撮りまくってそのまま乗り込んで帰って行ったのです。カメラのみを持っていましたから察するところバスマニアだったのでしょうか。
さて、ひとり取り残されました。こちらはそこからがスタートです。

坂下バス停

伊勢坂下バス停留所、集会所の広場になっています。
飲み物の自販機も備えてあります。
ここでバスは転回して帰ってしまいました。
坂下山道 道はご覧の通りに広く、舗装されていますが、人通りはまったくありません。
江戸時代には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒を数えた、鈴鹿越えのためのまず身体を一服させなければならない、名の通りの坂の下の宿です。
竜之介はあの山を越えようと、関宿の老爺さんの心配した空模様にも関わらず、この坂下宿を素通りして鈴鹿峠に向かって行ったのです。

坂下大竹本陣

大竹屋本陣跡。近くの梅屋本陣跡と同じく、現在は畑地になっていて過去を偲ぶよすがもありません。

坂下片山神社
鈴鹿権現と呼ばれて信仰を集めた、片山神社を探してゆるやかな地元道を上って行ったのですが、途中違う脇道に逸れたりして、やっとこの標識を見つけました。この木組みの階段はすぐ上で繁みに隠れて途絶えているようでした。
実際にはこの標識の矢印方向ではなくて、もう少し道なりに進んで右に登って行くのでした。
すぐ先で国道1号線と合流しているのでこれはもう見つからないと判断して引き返したのは残念です。


坂の下に着いた時分には、坂も曇れば鈴鹿も曇る、はたしてポツリポツリと涙雨です。この雨が峠へかかれば雪になる、雨になり雪にならずとも夜になるのはきまっている、鬼の棲むちょう鈴鹿の山を、ことさら夜になって越えなくても、坂の下には大竹小竹といって、間口十八間、奥行これにかなう名代の旅籠屋もあるのだから、竜之介一人を泊めて狭しとするでもなかろうに、他目もふらず、とうとう坂の下の宿を通り越してしまいました。これから峠へかかって三里、茶屋も宿屋もないものと思わねばならぬ。さては夜道をするつもりで草鞋を穿き替えたものと見える。

竜之介ほどの覚悟はないけれども、帰りのバスのないのをわかって坂下にやって来た。ゆっくりと噛みしめながら歩いて下って行き、途中で鈴鹿川の流れにしばらく見入っていました。

実は足の裏に豆を作ってしまい、しばし立ち止まらなければならない為体だったのです。慣れぬ道を長時間歩くには草鞋の方が良かったのかもしれません。
鈴鹿川 鈴鹿山 浮世をよそに振りすてて いかになり行く我身なるらん


西行法師の歌です。


次回は「壬生・島原」です。御期待下さい。