壬生・島原

近藤勇
古い奴だとお思いでしょうが・・(鶴田浩二)
三橋美智也の唄う、この歌が好きでした。

  か~ものかわらにぃ ちどりがさ~わ~ぐぅ
  ま~たもちのあめ~ なみだあ~め
  ぶ~しというなにぃ いのちをかけて~
  しんせんぐみは~ きょう~もゆ~くぅ

鼻にかかった、さらっとした歌い方で、哀愁漂うものでした。

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其の1


竜之介は大津の宿屋を動かない。
そこへ、隣り座敷に人が来たようです。声に覚えがあります。お豊と連れの男です。
ふたりはどうも心中の相談をしているようです。
過ぐる時、少しばかりの危難に立ち会い、再生の恩を述べていた女が、ここでは喜んで死のうとしている。
「死ね、死ね、死にたい奴は勝手に死ぬがいい」
心の中ではこんなに叫んでいる。それでも、なんだか後からついてくるものがあるようです。

大津を立って比叡おろしが軽く面を撫でる時、腰なる武蔵太郎が鞘走る心地がして、ふいに後ろから呼び止める声がする。
「そこへおいでの御仁、暫く。お一人旅とお見受け申す」
「いかにも一人旅」
「拙者も一人旅、ご同行ねがいたい」
『柳緑花紅』の札の辻を逢坂山を後にして、人通りの乏しい道をこれだけの挨拶を交わして、・・

追分とは、二又に分かれた、人生の岐路のことです。 柳はみどり、花はくれない
この標識を探すのに苦労しました。

柳緑花紅

京阪電車追分駅からすぐの場所に上の通りに出る近道の階段があったのですが、見落として大回りしてかなり歩きました。いつものことですが・・

追分標識
山から下って来ての、髭茶屋は繁盛したものでしょう。
古来より有名な逢坂の関を越えて、ほっとしたところにあります。京の人にとっては逢坂山の東から先は、異界異郷の場所だったのです。

髭茶屋

逢坂山

これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関―蝉丸

夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじー清少納言


竜之介は雨の鈴鹿越えでしたが、こちらの旅は電車です。旅をして思うことの一番は、便利な世の中に生きていると感じると共に、失ったものも大きいような気がすることです。これはないものねだり、小生が年老いたためでもありましょうが・・。

草津線
JR草津線、関西線と乗り換え駅の柘植駅で撮影。
柘植駅
柘植駅舎
毎度のことですが、ご覧の通りに人気はありません。乗り換え時間にかなり間があったので、外に出させてもらい、駅前に一軒あった喫茶店でアイスコーヒーとビーフカレーを注文。
伊賀忍者
柘植駅ホームの忍者たち。
階段にもこのような案内が出ています。
ここは伊賀の里なのです。

うしからつかず離れず来ていた武士、互いに流儀を名乗ることになり、
「貴殿の御流儀から承りたい」
「拙者は自源流を学び申した」
「自源流?」
「関東にはお聞き及びもござるまいが、薩州伊王ケ滝の自源坊より瀬戸口備前守が精妙を伝えし誉れの太刀筋」
「いや、かねてより承知してござる・・薩州は聞ゆる武勇の国、高名のお話なども多いことでござろう」
「薩摩武士の高名が知りたくば・・」
ハッと思うまに、くっついていた二人の身が枯野の中に横に飛びのいて、離るることまさに三間です。
睨みあうふたりに横から出て来たのが、片手で振った樫の棒、山崎譲という新懲組の香取流の棒術使い、竜之介とは旧知の間柄です。
「それはそうと吉田氏、京都へ入ったなら滅多に刀は抜かぬがよいぞ、血の気の多いのがウヨウヨいる、今の壮士のような奴が」
「あの命知らずには驚いた」
「何と言ったかな、あいつの名前は」
「薩州の田中新兵衛と聞いた」
「田中新兵衛・・覚えておくことだ。あんなのが好んで暗殺をやる。去年、九条家の島田左近を斬ったのも、まだ上がらぬのじゃ」
「暗殺が流行るそうだな」

山崎譲から清川八郎が斬られたことを知り、竜之介は近藤と芹沢、両派の権力争いになると見越して壬生には直接行かず、山崎譲に紹介された六角堂の鐙屋というところにいったん身を落ち着けます。
宇津木兵馬もすべての消息から竜之介が京に落ちて来ているとはわかっていますが、まだ出遭うこともなく、夜の二条城、三条大橋と歩き壬生の屯所に戻ります。兵馬は江戸から新懲組に同行しているのです。

壬生寺は新撰組の屯所があったところです。いくつか案内します。説明の必要がないのに驚きます。

壬生寺
壬生寺正門
壬生寺正堂
壬生寺正堂
ああ新撰組

三橋美智也の唄う、この歌が好きでした。
  か~ものかわらにぃ ちどりがさ~わ~ぐぅ
  ま~たもちのあめ~ なみだあ~め
  ぶ~しというなにぃ いのちをかけて~
  しんせんぐみは~ きょう~もゆ~くぅ
鼻にかかった、さらっとした歌い方で、哀愁漂うものでした。

新撰組顕彰碑
 新撰組顕彰碑

          壬生墓 墓
新撰組

魂魄帰天地 此生奈有涯 定知泉下鬼 応是護皇基

うろ覚えに読み下すと、

魂魄は天地に帰り、
此生は奈有の涯て
定めと知る、泉下の鬼となることを
応じるは、是れ皇基を護るためならん


新撰組の生きざまを余すことなく言い表しています。

近藤勇
夜帰った兵馬は近藤に呼ばれます。

「宇津木、もう夜歩きはならんぞ」
「は?」
勇は、兵馬の不審がる面を、上から見据えているのです。
「隊長、それは・・」
「うむ。夜歩きはするな」
近藤の語気には含むところがある、何とも理由は明かさず、頭からガンと夜歩きを差し止めて、まだなにか余憤があるようです。しかし、言いわけをしても駄目である。近藤が言い出したら、これは是非の余裕がないことを知っていますから、兵馬は黙って控えている。

こんな男なら、土方ならずともついて行きます。近藤、土方、沖田、おっかないけど愛すべきやつらです。
新撰組芹沢鴨 芹沢鴨と平山五郎の墓です。
芹沢は竜之介を応援に近藤の首を取る謀をして、「いよいよ拙者の天下である。明日になればわかる」と安心しきって愛妾のお梅と寝込んでいます。腹心の平間重助と平山五郎も馴染みの遊女を呼んで、それぞれ寝入っています。
そこへ、謀りをさとって先に壬生屋敷に戻って、三人の寝静まるのを待っていた近藤、土方、沖田、藤堂たちが襲いかかります。
平間重助は逃げ、平山五郎は斬られます。
快楽の夢を結んだ寝床は血の地獄となります。
芹沢は股、腕、腹に深手を負ったが屈しなかった。とうとう屏風を撥ね倒して枕元の刀を抜いて立った。
「おお、おのれは土方だな」
「うむ、いかにも土方だ」
「卑怯な、なぜ尋常に来ぬ、闇討ちとは卑怯だ」
「黙れ黙れ、これが貴様の当然受くべき運命だ」
「残念」
「土方、待て、芹沢、拙者がわかるか、恨むならこの近藤を恨め」
「おのれ、近藤勇」
恨みの一言を名残り、土方歳三はズブリと、芹沢の咽喉を刺し通してしまった。


其の2

京都駅から嵐山線、一つ目の丹波口駅で下りて、先に北に向かい壬生寺に。南に引き返して徒歩20分ほどで島原に着きます。
壬生の屯所から宵闇の向こうに、にぎやかな色街のにぎわいが聞こえもし、ゆらめく明かりが見えたはずです。
宇津木兵馬もやって来ました。七兵衛もお松を探しに島原色街に姿を現します。
住吉神社

島原住吉神社
角屋(右手)


島原角屋
揚屋の一画
夜の色街、どこに花魁はいるのでしょうか。一度は添い寝がしたいと誰しも思ったのです。

島原揚屋

島原大門
島原大門
島原大門柳
島原大門脇の出口柳です

大門通りです。
島原大門通り
島原大門古屋敷
このような家もまだ残っています。

島原の誇りは「日本色里の総本家」というところにある、昔は実質において、今は名残りにおいて。
今の島原は全く名残りに過ぎない、音に聞く都の島原を、名にゆかしき朱雀野のほとりに訪ねてみても、大抵の人は茫然自失する、家並みは古くて、粗末で、そうして道筋は狭くて汚ない。前を近在の百姓が車を曳いて通り、後ろを丹波鉄道が煤煙を浴びせて過ぐる、その間にやっと滅び行く運命を死守して半身不随の身を支えおるという惨めな有様であります。



画像元は京都観光案内より。
あまりに人気が無いので賑やかしに借りて来ました。
「島原の廓、今は衰えて、曲輪の土塀など傾き倒れ、揚屋町の外は、家も巷も甚だ汚し。大夫の顔色、万事祇園に劣れり」とは、天保の馬琴が記したものにある。

この島原で一番の角屋という店で大懇親会が行われています。木津屋の御雪大夫から妹とも思われているお松も応援に駆り出されて忙しく立ち働いている姿を、芹沢鴨に目を付けられてしまいます。
芹沢鴨に一杯すすめられて、酔いさましに部屋で一息ついている隣りに、竜之介と芹沢鴨がやって来て、ふたりのひそひそ話の中に「近藤」「宇津木兵馬という名前が聞こえたのでつい立ち聞きしてしまったのが悪かった。
芹沢に捕まり、
「今の話を立ち聞きしていたな。お前なら聞かれても良い、贔屓にしてやる」と迫られますが、竜之介に、
「いまは女に関わっているときではあるまい。心配なら、斬り捨ててしまえばよいではないか」と言われて、逆に芹沢は退くことになります。
芹沢は渋々宴席に戻りますが、残ったお松と竜之介は、妙なことになります。
竜之介はちびりちびりと猪口に手を伸ばして、お松が少しでも動こうとすると、「動くな、不憫じゃが、動くと斬らねばならん」
「あの、お客様、このお部屋には幽霊が出ると皆の噂でございます」
「なに、幽霊が・・」

机竜之介と眠狂四郎、どちらも一代を為した虚無の達人。
竜之介はお松を逃がさぬように見張ってはいますが、決して手出しはしません。
狂四郎なら、たぶんお松はのしかかられてしまっているでしょう。
このふたりの違いは何か。

  京の街の大狂乱の前の章に、多摩沢井に在る与八と東砂和尚の和讃が、
「壬生と島原の巻」には多く描かれています。

「方丈様」
「何だ」
「あの地蔵様の歌のつづきを教えてもらいてえ」
「西院河原地蔵和讃、空也上人御作とはじめてー」

 これはこの世のことならず 死出山路の裾野なる さいの河原の物語
 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ、十にも足らぬみどり子が
 さいの河原に集まりて 父こひし 母こひし こひし、こひしと泣く声は
 この世の声とはことかわり 悲しき骨身を透すなり
 
「方丈様、なんだか悲しくなっちまった」
与八の眼には涙がいっぱいです。

 かのみどり子の所作として 河原の石を取り集め これにて回向の塔を組む
 一重、組んでは父のため 二重、組んでは母のため 三重、組んでは古里の
 兄妹わが身と回向して 昼はひとりで遊べども 日も入相のその頃は
 地獄の鬼が現われて やれ汝等は何をする
 娑婆に残りし父母は 追善作善のつとめなく ただ明け暮れの嘆きには
 むごや悲しや不憫やと 親のなげきは汝等が 苦患の受くる種となる
 われを恨むることなかれと くろがねの棒をさしのべて 積みたる塔を押しくずす

「とうじゃ与八、怖ろしいことではないか。頑是ない子供がやっと積み上げた小石の
塔を、鉄の棒を持った鬼が出て来て、みんな突きくずすのじゃ。さあ、その次だ―」

 その時、能化の地蔵尊 ゆるぎ出でさせ給ひつつ
 汝等いのち短くて 冥途の旅に来たるなり 娑婆と冥途は程遠し
 われを冥途の父母と 思うて明け暮れ頼めよと 幼き者を御ころもの
 もすその中にかき入れて 哀れみ給ふぞ有難き
 いまだ歩まぬみどり子を 錫杖の柄にとりつかせ 忍辱慈悲のみはだえに
 抱きかかえ撫でさすり 哀れみ給ふぞ有難き―

「南無延命地蔵大菩薩、おん、かかか、びさんまえい、そわか」
「郁坊、よく聞いておけ、他人事ではねえ」
与八はホロホロと涙をこぼして、背の郁太郎を揺り上げる。



次回は「大和・三輪」です。御期待下さい。