武州・御岳

大菩薩峠の山路


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其の1


大菩薩峠に巡礼の年寄りと、少し遅れて十二三ぐらいの女の子が登って来ました。 それに気づいて見下ろしていた、三十歳ほどの細面で色は白く痩せた武士が、何を思ったか妙見社のお堂のうしろに身を隠したのです。
娘は沢に流れる清水を汲もうと谷路に下りて行きました。ひとり残ったお爺に、さきほどの武士が……、
それを眺めていたのは、先刻武士に睨みつけられて妙見の社の木の上に逃げて高見をしていた、野猿だけです。

妙見とは

善悪の真理を見透すこととあります。
大菩薩峠霧の山

7月中旬、大菩薩峠に登ってきました。



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大菩薩峠を下りて東へ十二三里、武州の御岳山と多摩川を隔てて向き合ったところに、柚子のよく実る沢井という村があります。

沢井駅山際の古風な民家。沢井はほとんど背後の山斜面と多摩川にはさまれて開けた集落のようです。手前の鐘堂で民家ではなく寺院だとバレます。

沢井の民家
万年橋

多摩川。御岳駅まえの御岳橋から下流にかかっているみたけ小橋です。作品中の万年橋も四十八間といいますから、ちょうと゜これくらいの大きな橋だったのでしょう。
このような山路を歩いていると、そこに山があるから Because it's there  登山家ジョージマロリーの言葉を思い出します。このような巨木に出会うと、なぜだか嬉しくなるのです。

御岳の杉道

沢井から眺めた武州御岳山。ケーブルのなかった昔の人は大変な苦労をして登ったものでしょう。関八州・甲信豆州などから腕利きの剣客が集まり、そこで行われる四年に一度の奉納試合、血が騒ぐのも無理からぬことです。

御岳山
寒山寺

沢井から下って多摩川の対岸、楓橋を渡ったところにある寒山寺です。中国の蘇州にある本家寒山寺を模して昭和五年に建立したものです。すでに九十年の風雪を経て、多摩川を眼下に観る眺望はやはり格別なものがあります。
多摩川の一景色。この日は前夜に降った雨も上がった晴天の日よりで、午前六時前に家を出て、横浜線、八高線、青梅線と乗り継いで、八時ごろに降り立った御岳渓谷から見た空は青く、山は碧く、清流は蒼い、空気と景色を心行くまで堪能できるものでした。

多摩川の景色

大菩薩峠で殺人のあった翌々日のことです。沢井道場で門弟食客連が剣術の稽古。
そこへ一人の娘がやって来ます。この先、因縁の女となる、お浜です。
島田に振袖を着て、緋縮緬の間着、鶸色孺子の帯、引き締まった着こなしで、年は十八九の、やや才気ばしった美人が、妹と偽って、試合の相手に勝負を譲ってくれと頼み込む女心とは、どんな覚悟を秘めているものなのでしょうか。
竜之介もこのときにはまだお浜という娘の本当の凄みがわかっていません。
女の操を破ってもよいかというのも、言葉の弾みにすぎません。
『大菩薩峠』に登場する多くの女たちは竜之介の愛憎の対象となりますが、誰もが必死のエロスを感じさせます。描かれぬがゆえに隠れた肉体というものもあったはずです。竜之介は女に狂うことはありませんが、迷いはあります。お浜、お豊、お松、お玉、お銀さま、まだずっと先の話ですが・・

 画像元

ダーラニーダーラーニ―と天衣を巻くして、
肉身が透けて見えるようです。
 画像元

武術の道は女の操と同じこと。
妄想に出て来たお浜は陀羅尼のポーズでくるくる舞っていました。かたじけなさに泪こぼるる、思いです。

ゆうべあしたの鐘の声
寂滅為楽と響けども 聞いて驚く人もなし
花は散りても春は咲く 鳥は古巣へ帰れども 行きて帰らぬ死出の旅
野辺より那処の友とては 金剛界のまんだらと 胎蔵界のまんだらに 血脈一つに珠数一連 これが冥土の友となる


伊勢内宮と外宮のあいだに在る、間(あい)の山のお玉の詠う『間山節』です。

ニヒリズムの権化、机竜之介にはどうしたものか女人という魔性に好かれて、向こうからやって来るのです。
物語は4年に一回行われる御嶽山の奉納試合にと向かいます。


其の2

お浜はあきらめて帰ります。
しばらくして、竜之介の姿が万年橋の下、多摩川の岸の水車小屋の前に現われました。
与八は面は子供のようで、形は牛のように大きな若者です。
竜之介の父弾正が江戸からの帰途に青梅の山林で泣いていた当歳児を見つけて、抱き帰って養育し、村の子供たちからいじめられては水車小屋で遊んでいたものを、水車番の老人が亡くなったあとに、純朴な性格と大きな体躯が見込まれてそのまま番人になったものです。
与八は机道場の若先生、竜之介から何か囁かれて、震えあがります。
まもなく、万年橋の上から提灯が一つ、巴のように舞って谷底に落ちて行くのが見えました。


多摩川渓谷
水車小屋


5月5日、奉納試合の当日朝、お浜は宇津木文之丞から、「過ぐる夜、そなたは竜之介から手籠めにされて帰って来たであろう」と離縁を告げられ「あられもない噂話で私を逐い出すつもりですか」と憤りますが、落ち着いて考えるとこれは解放されたと喜ぶべきことなのかもしれない。しかし、八幡村の実家には帰れない、どこへ落ち着いて誰を頼る・・。
いざ出立と御岳に向かおうとする竜之介のところに、与八が駆けこんで来ます。
受け取って見ると女文字、「お山の太鼓が朝風に響くまでにこの謎を解けよ」と脅したあの謎の、これが心か
御岳の奉納試合、行く途中の黒門茶屋でのことです。
先に到着していた文之丞は「易を立てて進ぜましょうかな」と声をかけてくる易占いの白髭の老人を相手にしませんでしたが、あとからやって来た竜之介は何を思ったか易占いを頼みます。
いろいろあれやこれやの筮竹を述べて最後に、「結局は雨となって地に下る。つまりは目的を遂げてお前様の勝ちとなる」、たいていの者にそう言って見料をせしめるのでしょう。
竜之介は神頼みをするような男ではありません。当たるも八卦当たらぬも八卦、易占いを拒否した文之丞、易占いを立ててもらった竜之介、どちらの心に余裕があったかおのずと知れようというものです。
「めでたいにはめでたいが、また一つの難儀があるで、よいか、よく聞いておきなされ。『夫妻反目、室を正しうする能わざるなり』。 細君に用心さっしやれ。お前様の奥様がよろしくないで、どうもお前様の邪魔をしたがる象じゃ」
このときの易者の見立て通りに、机龍之介には女難の相がついて廻ります。

御岳山、茶屋風景です。朝早かったので閉まっていました。人影も少なく、人通りの絶えた瞬間をねらって写真撮影。この茶店はこのまま時代劇に使えそうな感じで気に入ったものです。

御岳の茶屋
神社本殿。

神社本殿
狛犬。

本殿犬

奉納試合は殺し合いの場ではありません。門弟千人ともいわれる「甲源一刀流師範宇津木文之丞藤原光次、元甲源一刀流机竜之介相馬宗芳」と呼び上げられると、本日注目の組み合わせです、だれかかっていた場内の空気が一閃にして引き締まってきました。
文之丞と竜之介は左右にわかれ、太刀下三尺ずつの間合いをとって、木刀を前に礼を交わして、お互いの眼と眼が合います。
竜之介は青眼音無しの構え、文之丞の太刀先は師範の腕前です。
しかし、文之丞の気配に乱れがあります。遺恨をもって試合に臨んではならないのに心の底に余分な澱みがあるからです。
審判をつとめる一心斎老人が勝負の危険を察知して「分け」と鉄扇を両刀の間に割って入ろうとした瞬間に、文之丞の猛烈な「突き!」があり、五百余人の剣士が一斉にひやっとしたとき、意外にも文之丞の身はくるくると回って甲源一刀流の席に飛び込んで行ったのです。
竜之介は木刀を提げたまま、広場の中央に突っ立っています。文之丞は無様をおそれて、とっさに自席に走り込んで身を隠し、即死したものでした。
結果はお浜が予想した通りになりました。与八に渡した竜之介宛ての手紙にはたぶん、このあとのことが書かれていたのです。負ける相手に自分を託すはずがないからです。
文之丞を殺され、竜之介に手籠めにされたと噂されたお浜に、生きていく道はもう残っていないのです。


霧の御坂の道標。神社拝殿前広場で奉納試合が行われた後、石段を下りたこの辺りから本道を逸れて、御岳の闇坂に向かうのです。御岳の山道は曲がりくねっており、人声はすれども、姿に出会うのはめったにありません。
まして、霧の御坂。

霧の御坂の道標
七代の滝

七代の滝です。
「ドードーと滝の音が聞こえる」とあります。上の道の長尾平の分岐から七代の滝まで下りてくるまでの道のりは難所中の悪路です。
七代の滝からの帰り途。急降下で六〇〇mほど下り、今度は急角度の鉄梯子の階段を登ります。体力のない人はこの滝は狙わない方がいいとの指摘も納得です。

御岳の悪路

雲と霧とが濛々として全山をこめた時、剣鳴りがする。二人の姿はそこから消えてしまいました。


其の3

大菩薩峠でお爺を殺された娘のお松はたまたま通りかかった裏宿の七兵衛に助けられて、母親の姉だという江戸の本郷横町の呉服屋山岡屋の内儀お滝を尋ねて、「そんな身内はいない」とていよく追い払われてしまいます。二人が出て行ったあとに山岡屋の中からどっと笑い声がしてお松はくやしくて睨み返しますが、「お江戸は広いから居所に困ることはねえ」と七兵衛にうながされてとぼとぼと帰るところをうしろから、「もしもし」と声をかけられます。
さいぜん山岡屋で反物を見ていた品の良い切髪の婦人でこのさき長くつき合うことになるお花の師匠、三千石の旗本神尾の先殿さまの妾であったお絹です。殿さまが亡くなって殊勝に髪を切り、仮にお花の師匠となっていますが、先殿からの扶持やらその他で裕福に暮らしています。お妾は美しくたおやかな女でなければ勤まりません。くだけて言えば、どことなく色っぽくなければならない、のです。


盗賊の裏宿の七兵衛というのはモデルになる実在の人物が居たようです。青梅市にそのいわれの各々があると知り、訪ねてみました。青梅駅を降りて右手に進み、線路を渡って図書館の右奥に地蔵尊、もどって「七兵衛通り」の標識を頼りに10分ほどで七兵衛公園に辿り着きました。朝8時台の高校生の通学時間であったので人の通行がありましたが、帰りは「七兵衛通り」に人影はまったくありませんでした。

七兵衛地蔵尊
七兵衛地蔵尊
七兵衛通り標識七兵衛通り
七兵衛案内七兵衛案内
七兵衛公園七兵衛公園
七兵衛墓七兵衛墓
創建寺七兵衛創建寺
1960年公開の大映三隅研次監督作品では七兵衛を見明凡太郎という役者が演じて、1966年岡本喜八監督作品では西村晃が演じています。主役の机竜之介は三隅映画では市川雷蔵、岡本映画では仲代達也。
市川雷蔵は38歳で早逝しているだけに眠狂四郎シリーズのイメージと重なって、凄みと色気はこちらに軍配が上がるように思います。七兵衛も西村晃のその後の活躍など見ていますのでうってつけの役どころであったような気がします。
ちなみに岡本作品ではお松を内藤洋子16歳が演じています。三隅作品の山本富士子よりはこちらの方が圧倒的に適役に思えますが、なにしろお富士さんは看板女優ですから諸事情があったのでしょう。
これらの前、1953年東映渡辺邦男監督作品には、時代劇の花形片岡知恵蔵(50歳)が竜之介を演じています。七兵衛をあの懐かしい進藤英太郎(54歳)、お松をこれも懐かしい千原しのぶ(22歳)が演じいます。これが公開された時小生は小学下級生でした。配役に記憶があるので三作とも観たような気がします。

1960年公開の大映三隅研次監督作品当時の年齢
机龍之介―市川雷蔵29歳。
お浜―中村玉緒21歳。
宇津木兵馬―本郷功次郎22歳。
お松―山本富士子29歳。
七兵衛―見明凡太郎54歳
お絹―阿井美千子30歳

映画看板 画像元

お松をお絹にあずけたあと、七兵衛はその晩、山岡屋に舞い戻ると先ほどの仕打ちに対して手酷いお返しをお滝にします。
お滝は主人が商用で上方に出かけたのをよいことに、ニヤけた若い男をそばに置いて、しきりに酒を飲んでいます。
「どうぞ命ばかりはお助けを」
「命まで取ろうとは言わねえ。わっしはお前さんに恥をかかせに来た」
「恥を・・」
お滝は唇の色まで真っ蒼になったのを、七兵衛は心地よげに
「そんなに驚くことはねえ。なにもお前さんを弄み物にするわけじゃねえんだ。さきほどのお礼にお前さんを裸にして、先刻わっしがお松と一緒に抛り出されたお店の先へ明日の朝まで辛抱して立っていてもらうんだ。暁方になったら人も通るだろう、いいお内儀さんが素っ裸で立っているのを見過ごもできめえから何とかして上げるだろう。幸いここに二才がいる、こいつをお伽に・・」」
七兵衛の特徴の出た場面です。お滝はこの先お松を島原に売り飛ばす強欲な叔母になります。

湯島の高台に近い妻恋坂。現在このあたりは建物が密集していますが、どこも低地の神田川、江戸湾、に向かう坂地になっていたのでしょう。
こんな屋敷にお絹は住んでいたのではないでしょうか。なにしろ、三千石の旗本の美しいお妾さんなのです。


妻恋神社。これを見つけるのに大変苦労をしました。お賽銭を上げた自分には驚きです。

妻恋神社

与八は行方知れずになった若先生を探しに江戸に出てきますが広い江戸の街で見つかるはずもなく、木彫りの地蔵を馬の背に乗せて青梅丸山台あたりに帰ったところで、ならず者に囲まれて困っている少年と出合います。少年が宇津木文之丞の弟の兵馬と知り、兄の仇の机竜之介を討つと聞いて驚き、竜之介の父弾正に引き合わせます。弾正は竜之介を討つためには腕を磨かなければならない、江戸の島田虎之助に紹介状を書くのです。
4年後のことです。
竜之介とお浜との間に郁太郎という男の子が生まれています。
ふたりの住まいは江川太郎左衛門邸の長屋の一室。竜之介は足軽などを相手に剣術の稽古をしてやりながら鬱屈と過ごしています。
5月の節句というのに、お浜の口から出るのは愚痴ばかり。
「ああ、文之丞さまと添うていたら、坊にもこんなみじめな暮らしをさせたりはしないものを」
「ああ、女は魔物じゃ」
いさかいをした後、竜之介はどこをどう歩いたものやら、御徒町あたり竹刀の音に引き寄せられて島田虎之介の道場前にやって来ていました。
すでに師範格となっている若い剣士(宇津木兵馬)と手合わせして、互いに知らぬながらも感じるものがありました。

江川太郎左衛門といえば韮山の反射炉。のちに甲府勤番となる旗本駒井能登守の学問にも影響してきます。

反射炉 画像元
竜之介・お浜の住む長屋の一部屋とはこんなものだったでしょうか。


門弟千人と言われた宇津木の家の若奥様も今は四畳半長屋借り住まい、沢井の机の邸宅、白壁に黒い腰をつけた塀とそれを越した入母屋風の大屋根、とまでは言わないまでもせめて手伝いの婆やの一人も居てくれたら・・。
剣の道と女の操は同じ、手籠めにされたのは竜之介であったのかお浜であったのか、そんなふたりがうまくいくはずもなかったのです。
女坂と男坂。湯島天神に登る、坂道です。
湯島の名のいわれは湯が湧き出たとか、大昔不忍池に浮んでいた島であったとか、そんなことを書いた案内板が本郷通りにありました。

女坂

          男坂 

竜之介は土方歳三、近藤勇らの新懲組に加わり、共に行動していきます。
清川八郎を斬ろうとして、駕籠を間違え、島田虎之助の籠を襲います。
二つの籠は神田昌平橋を過ぎて一つは聖堂の方へ、一つは末広町、御徒町、広小路と過ぎ上野の杜を眺めてさらに鶯谷に。
島田虎之助はわざと人気のない寂しい場所にと一味を誘ったのです。籠の中で「不意の突き」をくらってもいいように中心をずらして座しています。
それぞれ名を馳せた新懲組の剣士ばかりですが、鬼神の島田虎之助にまったく歯が立たず、のこった襲撃頭の土方も押さえつけられ、竜之介は術も魂も打ち込んで見惚れてしまった。最後に到達した結論は「我ついにこの人に及ばず」です。
土方歳三は悲憤の涙で男泣きの体です。同士13人の死屍累々とした中で腹に刃を突きたてようとした。
愕然として醒めた竜之介は走り寄って土方の刀を押さえます。

神田明神

神田明神
神田昌平橋

御茶ノ水駅で降り、この橋を渡り、島田虎之助の籠を追ったつもりで上野方面に歩いて見ました。途中の神田明神、湯島天神、妻恋神社など見て回りましが十分に歩ける距離でした。武士の鍛えた足ではなんのことはない尾行だったはずです。

昌平橋

湯島天神

湯島明神

妻恋神社立て看板。

言葉の意味に誘われて、今回はこの神社を探すのが目的でした。このようないわれ書きが各処にあるので助かると同時にそのまま鵜呑みにしてしまう心配もあります。


上野の杜

上野の杜

不忍池

平地から望む上野の山を横目に見上げたかったのですが、どこに行っても現代の構造物、ビルや鉄道線路に邪魔をされて往時の姿を思い浮かべることはできません。せめて池の姿を。不忍池は今、蓮の葉で埋め尽くされていました。

不忍池


夜中、狭い部屋に何かが走り回り、火のついたように泣き叫ぶ郁太郎、見ると顔に鼠が乗っています。お浜は追い払いますが、郁太郎の咽喉にありありと血の跡を見て、半狂乱になります。夫宇津木文之丞も竜之介に咽喉を突かれて絶命したのです。「あなた、あなた」こんな騒ぎの中、竜之介は何かにうなされてぎりぎりと歯を噛んでいます。
そして、ついにお浜を斬ってしまった竜之介は、京に向かい、鈴鹿峠の坂下宿でお浜に生き写しのお豊と出逢います。
次回「鈴鹿・関宿」、ご期待ください。